真面目に四柱推命解説36
こんばんは
空いている時間に何をしていますか?
移動時間や少し空いている時間などどのように使っていますか?
携帯ゲームするのか
本を読むのか
寝るのか
勉強するのか
人それぞれ
色々あっていいと思います。
何かこれって言うものがあれば教えてください♪
移動時間が長いと
だいたい爆睡・・・揺れが気持ちいいですよね💦
丙午(ひのえうま)
丙は、照り輝く太陽の火を表しています。一方で午は、陽気で派手好きという意味を持っています。
この2つの性質を併せ持つ丙午は、とてもおおらかで明るいという特徴をもたらす干支です。
明るさと明るさが掛け合わされて、さらに明るくなるという、とてもまっすぐで純粋な輝きが現れてくるでしょう。どこからでも見上げられる太陽にように、自分のことを包み隠さない堂々とした性質があるのです。
そして、自分のことを隠さずに表に出せる強さがあるので、人を引っ張っていくこともできると考えられます。
ただ、その強さがプライドの高さとなって出てくることもあるでしょう。そういったときには、自分にも他人にも厳しくなるという特徴もあります。
丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」という迷信がある。これは、江戸時代の初期の「丙午の年には火災が多い」という迷信が、八百屋お七 が丙午の生まれだとされたことから、女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる。江戸時代には人の年齢はすべて数え年であり、もしも八百屋お七が寛文6年(1666年)の丙午生まれならば、放火し火あぶりにされた天和3年(1683年)には18歳になる計算となるが、西鶴などの各種の伝記では16歳となっている。しかし浄瑠璃作家紀海音が浄瑠璃「八百やお七」でお七を丙午生まれとし、それに影響された為長太郎兵衛らの『潤色江戸紫』がそれを引き継ぎ、また馬場文耕はその著作『近世江都著聞集』で谷中感応寺にお七が延宝4年(1676年)に掛けた額が11歳としたことが、生年を寛文6年(1666年)とする根拠となった。紀海音は演劇界に強い影響力を持ち、文耕の近世江都著聞集も現代では否定されているものの長く実説(実話)とされてきた物語で有り、お七の丙午説はこのあたりから生じていると考えられている
丁未(ひのとひつじ)
丁は、いろりやたき火など、人がおこす火を表しています。一方で未は、穏やかで人情に厚いという意味を持っています。
この2つの性質を併せ持つ丁未は、控えめで穏やかという特徴が出てくる干支です。
特に表面的には、自然と周りに調和していく傾向が強いでしょう。
しかし、たとえ小さくても、火は火。内面には、熱い情熱を抱えていると解釈できます。また、パッと火がつくような発想力も、この干支の特徴だと言えるでしょう。
そして、おこした火を絶やさないように努力をするという性質も持っています。ただ、火は突然に燃え広がることがあるもの。
それと同じように、感情的だったり気分次第だったりという場面も出てくるのも、特徴の1つです。ただそんなときは、才能を発揮しているタイミングであるとも言えるでしょう。
参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/丙午
http://free-fortune.jp/dictionary/four-pillars